昭和41年01月20日 夜の御理解
目は心の窓とこう申します。心が生き々と致しとります時には、目が輝いとります。御理解でも頂いておりますと、矢張りこの人間ですからか眠む気も付きます。けれども何か段々御理解が、そのおぼろげでもじっと耳に入って来よりますと、ぽっと何か自分の心に響いて来る事がある。心がこちらに向いて来る。そすとですね、確かに目が輝いて見えますですね。是は私し御理解、解かして頂いて思うんです。それこそ目を輝かして御理解を頂く、これは心が生きておる時です。
そういう、私しはおかげを頂かなければ、もう例えば朝から晩まで御理解を頂いておってもですね、もう駄目です。今日、私くしある方のお届けをさして貰ったんです。もう長い間、ずうっともう、本当に現在の医学と言うのは、素晴らしいですね。もう亡っておる命を、こうもうその、注射とかですね、例えば流動物をどっか、鼻から入れる様な、その養生をしながら。何ヶ月間、もてておられる方の御届けがあったんです。
したら御心眼に私しその事を、私しもまあ縁がない訳じゃない。意味では、御恩もある方でございますから、まあ、日々の事、私しも思いにならさして頂いておるんですけれども、こう神様ですね。眼をこう開けてこう眼をつぶっとるのをですね開けて見せて下さるんですね。もう眼がうつろと言うよりも、もう眼が死んでおると言う感じでしたですね。ははぁもう、もう実を言うたらもう死んでおると同じ事なんです。
そして細々しい事は、頂いたんですけれそも、それをそんな事はどうかと思うんですけれども。今御霊さんの前に、あのお花が入れてありますが。それもその事を表わすと、神様が仰います。ははぁやっぱり関連のある方だなあと思うんです。それがいわゆるその眼は心に通じるのです。自分の心が生き々しておる時にはです。眠むかっても、御理解が始まったらパチット眼が覚めて来るです。御理解というのは、そのくらいな私しは、生き々した思いで頂かなければならん。同時に又日常生活がですたい。
そうした生き々したものでなかなければ、ならん事は勿論生き々と、その御教えが生活の中にこう、融和して行く、融け込んで行くと言う生活なんですね。例えて考えて御覧なさい。あの例えば菊の花なら菊の花がですよ、花はりっぱにしておりましても、葉がジワーットなっとって御覧もうその花の値打はないでしょう。どんなに、例えばまあ、おかげ頂いておりますと言うても。
成程花だけ見りゃおかげのごとあるけれど、その心がです神様に向けるその心がです。言わばその菊の花の葉がグチャットこう萎れておったらもう。その花全体が値打がないでしょうが。おんなじ事です。ですから私し共の、結局はまあ私共の、その心を見つめるとか見極めるとか。この頃自分の心の中に生き々した物が、欠けておるなあと言った様なつきには、矢張りひと修行さして貰わないけません。なんでもよい。
是は日々の事ですからその時には何かチョットでも良いから、修行さして貰うとですね、そこから又新たな水揚げをした様に、例えば菊の花なら菊の花がそういう、花はまだ立派にしとおる。葉はぐしゃっとなっておる。と言う様な時にですね。いま一つ水揚げを、揚げの薬をつけるとか、根を叩くとか、これの水揚げの方法を致しますと、又、水をずうっと揚げて参りますと、その葉までがしゃんと、こうして来る。
妙な物です。ですから自分の心をです、矢張り湛えてみなければいけません。修行を与えなければこれは、も、私しが何時も言う事なんですけれどもね、この天地の親神様と言う御方はね。もう確かにも電気体とて同じ事です大きな電源です天地は。今古賀さんが、ある本当に難儀な問題のお取次をなさいました。さして頂いた。私が申しました。その受け方一つで次のおかげが決まるよて、私しが申しました。
如何に信心と言うもの、自分のものにしておかなけれはならんかと言う事が分かるです。今晩は一つ菊栄会でそんな事を一つ取り上げて。一つ検討なさいおかげ頂きなさいと言うてまあ、申しました事で御座いますけれども。信心しておってもやっぱり雨もありゃ、嵐もあるんだと。生きる死ぬるも、勿論あるのだと。そこへ、お取り次を頂いて、おかげを頂くと言う階段からです。夕べの御理解でしたですかね。神ながらと言った様な、おかげでもです、あれは氏子が作って行くものでなからなければならない。
と言う様な御理解を頂いたんです。神ながらなおかげと言うのは、氏子が作るのだと。例えて、今度あの今度の御造営の客殿の所の事。確かにまあ言うならば、設計士のミスなの、一番まあ、良い材料を使って、しかもまあ言うならば気品まあ、貴賓館にもあたる所。普通の客人ではあそこは通さない様な客間が出来ておる。応接と洋間と日本間が出来ておる。そこに、一間もあなた、この設計があの、基礎が違っているって言うんです。もう大変なミスなんです。
だからそこにするならば、お広間の軒まで切らなければならない、ローカを低くしなければならない、と言った様な事になっておる。けどもこれは、私しの流儀なんだと決してそれは、ミスじゃナインだと。それをおかげにするんだと。だから設計士とその大工はもう談合して、そう言う風にしておる時に丁度、昨日委員長に行き合わせてから、ここに参りましたから、私しがそれを申しますんです。
とても、あの客殿と応接室はあれだけでも、普通の家から言うならば、あれだけでも立派な一軒の家が建てるとぞと。それを切った、切り出した様な事でですね。ことでつけちゃでけん、そらまた一間作るとは、言っても基礎からやり直してからでも、ひとつやらないけん。そしたら先生どうでもかっこが良くなりますよと、こう言う訳けなんです。もう、こう云う事なんかは、例えば設計士の頭の中からは、割り出せない様な、言わば素晴らしい、その事に成るらしいんです。
その一間南の方へ出すと言う事になれば、してみると、その、それは、ミスじゃない。神様がよりよい客殿を作って下さる為の御働きであると言う事なのですから。そのまま、したんじゃ、何時々までも本当にここは、今度の設計を間違え、ちからもこげな、風にして何時も見るたんびに思わんならん。所があん時には神ながらじゃったなあと、あれを一間ほら少しばっかりは、手は要ったけれど、基礎をやり直してやったら、こげな思いも付かない様な、素晴らしい事になったじゃないか。
それが神ながらなんだと、してみると神ながらと言うのはですね、私し共がどこまでも、それを信心で頂いていく。それは、ミスじゃない。神様の御都合だと頂く、その心が神ながらだと私し神ながらのもの、次に生みなして行くのだと、してみるとそこん所をミスと言わずに、それを神ながらとこう頂く、神様の御都合だと頂く。その心が生きた心だと言う事になる訳なんです。
生き々した心。例えて言うなら、天地の親神様が、大きな電源であると、私しは申しましたが、確かにどんなに、見掛けはリッパな、花が咲いておる様であっても、葉がジワーットした人がですよ、幾らめげたっちゃ、拝んだっちゃ、おかげにはならん。響いて来ないです。第一そうでしょうが。天地の原理と言うもの、皆さんが知っておられるですから、あれに、竹やらあの枯れた竹やら、枯れた木やらを、持っていったっちゃ、ビリットでんこんでしょうが。
いわゆるそれがその、みずみずしいとか、生々しいと言う物を持って行ってこそ、始めてビリビリット、来る様なものがあるんです。そこに明るくもなりゃいわゆる、あらゆる電気の応用が、でけておる様な働きと言うものが頂ける。それを私くし共は、天地の親神様のおかげを、金光大神の御取り次によって、です、頂く表わしていくおかげだと、こう、申しております。
ですからはあ、信心しておって、どうしてこげな事が起こったじゃろうかと言うたらもう、次のおかげはない。それを難儀は難儀だ。そこを難はみかげだと、難あって喜べとさえ、四神様は、仰っておられる様にです。その難を生き々とした喜びの心で受けれると言う事。そこに次ぎのおかげ決まって来る。次のおかげが是は、もうそれはまあ言うなら文男先生方の今度火事騒ぎの様な場合でも是は、生きた心でああいうきちっと、天地が自由になる様な、おかげを表した訳なんです。
どうでも一つ私し共の心がです、生き々したものを、瑞々しいまでの、生き々したものをです、欠いだら駄目。御理解を頂く時にです。もう眠して堪らん、もう御理解を頂くと云う事なったら眠ったと言う人があるんです。して、御理解が済むと、ピシャット目が覚めておる。いかに御理解が身に付いて行きよらんかと言う事が分かる。ですからそれは生き々きした言わば、信心が出来る筈がない。
目を見りゃ分かる。御理解を頂きよってから、はぁあの人は御理解がどんどん入って行きよるな、目が輝き出すのですから、不思議に。初めは、なんごつどん言いよるじゃろかと頂きよる人でもです。本当に例えば、その御理解のです是だと言った様なものが、心に響いて来るとですね。もう第一、いわゆる表情が引き締まって来る。目が輝いて来る。本当に確かにあの、目を輝かしと言う事は本当ですよ。
目を輝かして、御理解を頂かして、もらうような信心。同時に事があった時にです。その事の受け方次第で、自分の信心の、生きておるか、生きていないかと言う事を確かめ、確かめ、生きた信心を、いよいよ進めて行かなければ、生きものだから。また何時怪我をするやら、生きものだから、何時死ぬるやら分からん。そこに絶えず、絶え間ない修行が必要なんです。
私共の心が何時もかつも、生き々し通しと言う様な事は有り得ない。けどその辺はおくり合わせを願わなければならない。私しの心の枝折れておる時に、私の心が枯れておる時に、例えば突発的な事が起こる様な事になったらです。もうその受け、受け入れるものすらが、よう受け切らん事になる。その辺のお繰り合わせを、タイミングよう頂かないかん。そこを願わないかん。
私くしの心の生き々としておる時に、それこそどの様な事が起こっても、居眠りどもするだんじゃなあいと、言った様な心の時に、もしも事が起ってはですそれをどっこいそれを受けとめていける事が出来ける。その受けとめるその事がです、次のおかげを生んで行くのですから。
おかげを頂かないきません。